朝日温泉史

寛文6年(1666) 円空 雷電岳薬師堂に観音堂を置く。

天保4〜8年東北地方連年の大飢餓で死する者続出 少しでも余力のある者は

家族を連れエゾに進入、当時 正徳年代(1711)より積丹のカムイ岬は女人

が通行するときは海が荒れるという伝説があり松前藩は政令により婦女子の

通行を禁止したので家族連れは雷電峠を通行した。この時温泉を発見した、と

言われている。弘化元年(1844)中江差徳二郎は熊が傷を負い湯に入るを見て

笹小屋を建て開湯せり。雪中まで浴客来たる。安政3年(1856) 又兵衛が湯守りと

なり山にこもり、大履を作り逆旅をかね、浴槽は上下行を判ち貴賤を分かつとあり。

4/26 松浦武四郎スイド・サケノカロ・常吉・松前富次郎4人を従い磯谷より右に入

りカモンナイ小川(現在の精進川)を登る途中薬師堂の上に出たり 円空作の観音という

は恐らくこれなるべし。厨子錠ありて拝しえず。土人の話にこの堂 100年前より此処

に在りと。さて、板階5、60下りてユウナイ川に幅3間の橋と止宿小屋一軒在り(現在

の朝日温泉)そばに温泉沸沸と沸き上がり水八分を加えて浴す。この家は岩内の半兵衛と

言うもの建てしと、宿するに鍋を持たず来たりし故困りしが、スイド自分アッシに米を包

み温泉壺にしばらく入れ置き、上てその上に筵をかぶせしが、ほどよき飯になりたり。

しかし その米に土人の息き移りしは甚だ恐れおおし也。

翌朝は未明より米をかごに包みて温泉に漬け置きしがこれ又良くできたり。

このところ辰年は難渋せしところも、翌巳年安政四年(1857)通りしが 人も住みて

従来の者の宿るように成りしも有難きことなり。

又、このとき西積丹で詠める歌。

◎ 磯 谷 領
この里の 浜辺にぎはう
 しる人や 貝も帆立て
  寄りに寄り来る

◎ ユウナイ
千万の こがねはものか
  かしこくも
国の宝は道にしめやか

◎ ヲタスツ領
この国は 神代ながらの道ありて
    文こそあらね
     ふみもまどはず

◎ 雷電1
うかれ女の名こそうべなれ
蝦夷の海に浮かれ浮かれて
   世をわたるらん

◎ 雷電2
  真帆あげて
岸によりくる海女ぶねは
たれか今宵のつまとみるらむ

* 前の川はユーナイ川と呼ばれていたので、

  昔はユーナイの温泉、又、茶屋と云われていた。

Copyright(C)2005 朝日温泉 All rights reserved.